実はここ20日ほど、研究室を休んでいた。自分の専門とする分野への興味を完全に失ってしまい、研究室にいる意味を失くしたからだ。

 

思えば、好きになるのは衝動的で一瞬なのだが、嫌いになるのには時間がかかることが多い。でも一度嫌いになってしまうと、その感情が変わることはない。花粉症みたい。発症するまでは花粉の蓄積が続き、その間に辛いことは特にないのだけれども、一度発症するともう二度と発症前の状態には戻れない。

 

蓄積されたのは、化学そのものに対する拒絶だけではない。どちらかといえば、化学に関わる人間の方から嫌いになった。自分の名誉と地位のため、出世のために必要な業績を学生を何人も潰してまで得ようとするその醜さは、今までの人生の中で見たことがない。

 

人と人以外、嫌いになるのはどちらが簡単なのだろう。人以外のモノに関しては衝動的に嫌いになるが(例えば虫など)、人の方が「嫌い」という感情を強く抱けるような気もする。だから今だに、中学校の担任とか、高校の部活の顧問とか、塾の先生とか、時間が経っても嫌いなままなのかな。思い出は美化されるっているけれど、嫌いだったという感情も年々勝手に大きくなっている気がする。この体質は面倒だな。嫌なことは忘れたいよ。

 

今後どうなるのだろう。大学院をやめたらフリーターかな。ネタになるな(笑)

でも、化学の研究者としての未来は全くと言っていいほどに想像できないし、想像したくもない。このままうやむやにやり過ごしたとして、それなりに名前の通ったメーカーに勤めたとしても、失った20代の時間を一生後悔し続けることになるだろう。死ぬときに後悔する。死を意図せず迎えられるならいいのかもしれないが(不謹慎だが)、多くの場合は自分の死を意識しながら向けてしまうし、必ずその過程で後悔するのだろうな。

 

これ以上書き続けても何も生まれない。最近驚いたことを箇条書きで残して置く。

 

・全ての商品の値段を覚え、バーコードを読む前に商品の値段を言いながらレジうちするコンビニ店員がいたこと。

 

・今まで普通に話していた研究室のメンバーが、今日20日ぶりに行くと一言も話しかけてくれなかったこと。(くらい雰囲気を全面に出していたからかもしれないが。)

 

・人の多い場所に行くのが本当に怖くなってしまったこと。今は紀伊国屋に行くのも札駅に行くのも怖い。そのために知り合いが少なそうな丸善に行っている。

 

・心臓病かと思っていたのが逆流性食道炎と言われたこと。

 

・読書が想像以上に面白いこと。小説をもっと読みたい。同時に、自分の人生の中から退屈という概念が消えた気がする。

 

今後やりたいことも少しだけ書いておく。

 

・投資についての勉強とFXを実際にやってみたい。

・もっと本を読みたい。

wordpressでブログを解説。

・時間とお金に縛られない働き方について考える。

 

このくらいかな。ゆっくりとでもいいから、失った20代の時間を取り戻したい。

 

 

もうすぐベルギー戦ですね。見るか見まいか迷っている。研究室辞めたいな。